寄木細工の歴史

江戸時代後期、当時の宿場町であった畑宿で寄木細工は生まれました。 畑宿の石川仁兵衛が、木の種類が豊富な箱根の山の特性に着目し、色や木目の違うさまざまな木を寄せ合わせてお盆や箱を作ったのが始まりだとされています。

戦国

弘治2年(1556年) 箱根の畑宿で挽物細工の生産がされていた。

江戸

寛政3年(1791年) 「東海道名所図会」出版。箱根細工が湯本茶屋の名品として紹介される。
文政3年(1820年) オランダの日本学者フィッセルが、箱根宿と湯本で寄木細工を見物し購入する。※箱根での寄木細工の初出。
弘化年間(1845~48年) 畑宿の石川仁兵衛が、寄木細工の技法を考案したと伝わる。
安政元年(1854年) 下田開港。畑宿の茗荷屋畑右衛門が、下田に赴き箱根細工を売り込む。
安政6年(1859年) 畑宿の茗荷屋畑右衛門や金指六左衛門らが、横浜に出店する。

明治

明治10年(1877年) 第一回内国勧業博覧会開催。大平台の松井安兵衛が、漆器を出品する。
明治25年(1892年) 湯本茶屋の白川洗石が、ミシン挽き木象嵌の技法を完成させる。
明治27年(1894年) 湯本の大川隆次朗が、秘密箱を考案する。
明治30年(1897年) この頃に小田原の山中常太郎が、組木細工を考案する。
明治42年(1909年) 箱根物産同業組合が組織される。

大正

大正元年(1912年) 輸出向けコースターセット・白粉入等の生産が盛んになる。
大正2年(1919年) ズク貼りのペン箱が流行する。
大正3年(1914年) 大戦景気により輸出が増加する。
大正12年(1923年) 関東大震災により、箱根細工の工場が数多く被災する。

昭和

昭和18年(1943年) 箱根物産木工製品同業組合(旧箱根物産同業組合)が解散する。この頃、箱根細工の工場が軍需品生産の下請けとなる。
昭和25年(1950年) 神奈川県工芸展覧会開催。箱根細工が数多く入賞する。
昭和26年(1951年) 箱根物産共同組合連合会が組織される。
昭和30年(1955年) 箱根物産総合展開催。※戦後初の箱根物産のみの展示会。高度経済成長期により輸出が増加する。
昭和59年(1984年) 「箱根寄木細工」が通商産業省によって伝統工芸品に指定される。