箱根の見どころ

芦ノ湖

富士山も望める景勝地

芦ノ湖の誕生

現在の芦ノ湖は、約三千百年前に誕生したと考えられます。
神山の中腹にある大涌谷から仙石原や芦ノ湖にかけての扇形をしたなだらかなスロープが見えます。これは今から約三千百年前に起きた神山の水蒸気爆発によって、神山の北西部が大きく崩れ、その土砂が仙石原方面に流れ下った跡です。
 この時、仙石原には川(古い早川)が流れていましたが、山崩れの土砂が川をせき止めてしまったため、その上流に水がたまり、湖となりました。これが芦ノ湖です。長尾峠から見ると、この神山の山崩れの土砂が、ちょうど芦ノ湖の手前で自然の堤防(ダム)となっているのがよくわかります。
山崩れが今から約三千百年前に起こった手がかりになったのは、山崩れの堆積物から見つかった当時の樹木でした。これらは、神山周辺にうっそうと繁っていた樹木で、山崩れと共に仙石原一帯に流れ下ったものです。その樹木の放射性炭素年代を測定してみたところ、今から約三千百年前という結果が出ました。つまり、樹木たちが山崩れに巻き込まれ、堆積物の中に埋もれてしまったのが約三千百年前という事になります。これによって仙石原に流れる川がせき止められ、芦ノ湖ができるきっかけとなった年代がわかりました。
これらの埋もれ木は杉が多いことから、「神代杉」とも呼ばれ、中には直径が二mもあるような巨木も見つかっています。箱根町立郷土資料館に展示されている江戸時代の仙石原の絵図には、神代杉の出土地点が「埋杉掘候跡」として記載されています。神代杉は箱根細工の材料としても使われたので、地元の人たちは神代杉を掘って出荷していたようです。

芦ノ湖の由来

「芦の海」の名で「芦ノ湖」が初めて書物に見えるのは、鎌倉時代中期の仁治三年(西暦1242年)、東都から鎌倉へ下った人の紀行文『東関紀行』で、次のように書かれています。
「山の中に至りて、湖広くたゝへり。箱根の水海と名付く。又芦の海といふもあり。」 ほぼ同じ頃、鎌倉幕府三代将軍の源実朝も「玉くしげ箱根の海はけけれあれや(「心があるのか」の意味)」と歌っていますから、当時は「箱根の海」と呼ばれ、「芦の海」はその別称だったようです。
江戸時代に入ると「芦の海」と呼ばれることが多くなり、江戸時代の後期に幕府が編さんした『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』では「海」でなく、「芦ノ湖」と書かれるようになります。芦ノ湖の名は、岸辺に「芦」がいっぱい生えていたことから付けられた名と思われます。読み方は、今では「あしのこ」ですが、これは明治以降、漢字を音読みすることが多くなったためで、それまでは「あしのうみ」と呼んでいたようです。「うみ」は「大いに水を湛えるところ」という意味の「大水」が縮まった言葉で、「海」も「湖」も同じ意味に使われてきたのです。「湖尻」も、昔の絵図には「海尻」と記されていますから、「うみじり」と呼んでいたのでしょう。
芦ノ湖は神秘的な美しい湖です。作東の司馬遼太郎さんは、芦ノ湖の水の青さを「箱根権現の神の衣の色」と讃えています。『新編相模国風土記稿』の「芦ノ湖」の項には、「一名鑁字ヶ池と云(中略)則権現の御手洗池なり」と書かれています。芦ノ湖はその昔、箱根権現の修験者(山伏)たちが、「禊」(心身を洗い清めること)をする聖なる湖でした。
また、芦ノ湖には九つの頭をもった龍が棲んでいて、万巻上人が湖に石台を築いて祈ると、龍は宝珠(ほうじゅ)や錫杖(しゃくじょう)、水瓶(すぃびょう)を捧げて降伏したので、九頭龍明神として祀った、と伝えられています。

満々と水を湛える芦ノ湖

芦ノ湖は、箱根火山のカルデラの中にある「カルデラ湖」です。今から約3100年前に起きた大涌谷付近の噴火による土砂が、当時仙石原を流れていた川(古い早川)をせき止めたため、その上流に水がたよって湖となりました。
では、そこにたまる水は、いったいどこからくるのでしょうか?そのほとんどは雨によってもたらされるのです。
芦ノ湖ばかりでなく、その周辺に降る雨もやがては芦ノ湖へと集まってくるのです。
芦ノ湖の水は、もともとは早川に流れ出し、相模湾に注いでいました。今でも地図を見ると、芦ノ湖の水は早川に流れ出ているように見えるので、一般には「芦ノ湖は早川の源流」といわれています。ところが、現在では、実際には湖尻の水門が通常閉ざされていて、大雨などで芦ノ湖が増水して危険な場合を除いて、直接には早川には流れていません。
芦ノ湖の水はどこに流れているかというと、江戸時代に開削された箱根用水を通って、静岡県の裾野市方面に流れています。この用水は、初めは灌漑用水として使われていましたが、今では用水路に設けられた三ヵ所の水力発電所の発電にも用いられています。最大水使用量は毎秒1.6㎥で、一年間に平均して約4300万㎥の水が流れ出ていると推定されています。
芦ノ湖の水の量は、約1億7750万㎥と計算されていますから、もし水の補給がなければ、箱根用水への流出によって、およそ4年間で芦ノ湖は空っぽになってしまう勘定です。
でも、実際にはそんなことはありません。箱根の年間降水量は3000㎜にも達しますので、これによって芦ノ湖には、蒸発したり、箱根用水へ流出する量をはるかに上回る水の量がもたらされているのです。
このことは、昭和38年(西暦1963年)~48年(西暦1973年)まで11年間の芦ノ湖周辺の水収支調査(ある地域内での、一定期間内の水の出入りを計ること)によっても確認されています。

富士山の見える湖畔の温泉

昔から箱根では「富士の見える場所に温泉は湧かない」と言われてきましたが、昭和41年(西暦1966)に湯ノ花沢温泉から湯を引いて生まれたのが芦ノ湖温泉です。以来、芦ノ湖と富士山という2大ランドマークに、避暑地としての魅力が相まって観光客の心を魅きつけています。13軒ある宿のほとんどから芦ノ湖や富士山の景観を眺めることができ、四季折々に異なる味わいがあります。
元箱根から箱根地区にまたがる芦ノ湖温泉一帯は、史跡の宝庫でもあります。東海道の交通の要所「箱根関所」や源頼朝らの信仰を得た「箱根神社(箱根権現)」のほか、皇室の離宮跡(現恩賜箱根公園)、旧街道沿いの杉並木などが有名。箱根神社の宵宮祭として毎年7月31日に行われる「湖水まつり」では、湖上に三千余の灯籠が浮かび、花火とともに夏の夜を彩ります。そのほか夏は「鳥居焼まつり(8月5日)」、冬は「箱根駅伝(1月2日・3日)」「箱根神社節分祭(2月3日)」と、伝統的なイベントが多く、オールシーズンのリゾートとして人気を呼んでいます。

約40万年前に箱根火山のカルデラの中にできた周囲約20kmの細長い湖。南岸の杉並木街道から眺める「逆さ富士」は、箱根の絶景の一つに数えられています。湖上から観る景観もまた格別です。また水温は1年通じて4℃以上あり、真冬でも凍結することがなく「熱帯湖」となっています。

虹マス、ブラックバス、わかさぎ等が生息しており、多くの人が釣りを楽しんでいます。
芦ノ湖は約40万年前、箱根火山のカルデラ(くぼ地)にできた湖です。南岸の杉並木街道から眺める逆さ富士などの景勝地として有名ですが、古くから漁業でも栄えてきました。現在でもニジマス、ワカサギなどが多く、絶好の釣り場となっています。特にワカサギは毎年10月1日に漁が解禁されると、その初漁の魚は箱根神社に奉納され、さらに宮内庁に献上されるのが恒例です。ワカサギを漢字で「公魚」と書くのは、そのことに由来すると言われます。

(参考資料箱根叢書(23)『箱根火山探訪』)

詳細

アクセス 【箱根・元箱根】 小田原駅・箱根湯本駅から箱根登山バス・伊豆箱根バス箱根町行きで「元箱根港」または終点下車 【湖尻・桃源台】 小田原駅・箱根湯本駅から箱根登山バス湖尻桃源台行きで終点下車

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