寄木細工にかける情熱
箱根寄木細工を語る上で欠くことができない、創始者と言われる「石川仁兵衛(にへえ)」氏の血筋を引き七代目、それが石川一郎氏。 仁兵衛氏から数えて五代目が畑宿で創業した「浜松屋」の店主でもあり、そして何より箱根寄木細工の伝統工芸士の一人でもある。
特殊な鉋(かんな)で薄く削った模様を小箱など木製品の外側に貼る「ヅク貼り」、厚みのある文様板を加工してそのまま製品の形を作る「ムク作り」、異なる色の天然木材を用いて絵画や図案を嵌めこんで風景や人物などの絵柄を作る「木象嵌(もくぞうがん)」、と様々な技術を一通り製作している。
ただ木象嵌は一郎氏の弟、善弘氏が得意としていて、今尚お店にはその善弘氏の作品が数多く残る。 残念ながらその善弘氏が死去し、今は甥っ子がその志を継いで木象嵌を作り続けている。
技術と直感、
研ぎ澄まされた職人の
感性。
自身はもっぱらヅク貼りと木象嵌。
模様、木の選び方、色味、組み合わせ・・・全て「直感で作っています」と。
色が違う様々な木を直感で選び、そしてその木を長いまま寄せてくっつける。細い木の棒がその組み合わせでどんどん模様となっていく。
これが種木(たねぎ)。
その種木を鉋で薄く削り出す。その薄さは0.15mmから0.2mm。
硬さの違う様々な木を寄せているので、厚くするとバラバラになったり反ってしまうこともあるとのこと。
紙のように、いや、紙よりも薄いヅクだからこそ強度を出すことが可能になる。
培われた技術と直感、職人の感性が生み出す芸術。
だから「寄木の表現はそれぞれ職人の個性が出る」と一郎氏は言う。
伝統的な模様も、そして代々受け継がれてきた模様、職人が己の感性のみで作り上げた模様。
それらが相まって箱根寄木細工の伝統は着々と受け継がれていく。
自分専用の道具ももちろん自分で作る。ないならば作る。至って簡単な理屈だ。
ただそれも木と向き合ってきたからこその「ないならば作る」に至っている。
亡き弟の分まで
この場所で作り続ける。
そしてもう一つの技術が木象嵌。
木象嵌は寄木とは違う。
箱根湯本の白川洗石氏という木象嵌師によって、「糸鋸(いとのこ)ミシン」を用いた挽き抜き象嵌技法が開発され、その後も木象嵌師達によって、染料で木を染める染木やボカシなど、様々な工夫や改善がされていった技術。
板に糸鋸ミシンで図柄を切り抜き、色や濃淡の異なる木を嵌め込んで同型の図柄を嵌め込んだものを薄くスライスしていってヅクを製作し、それを板などに貼り塗装をしたら完成。
これは前述の通り、弟であった善弘氏の独壇場であった。
「この技術を絶やさないためにも、この場所で作り続ける必要がある」と一郎氏。
これが自分の図柄だと言えるまで修行は続く。
そう、若手技術者集団「雑木囃子(ぞうきばやし)」にも惜しみない支援を続けるのは、技術を絶やさないため、その一点だ。 「彼らはライバルではない。だから自分の持っている技術は全て伝えたいし、継承してもらいたいとも思っている」 一年、二年で習得できる技術ではないため、これが自分の図柄だと言えるまで長い修行の日々となる。 今でもあくなき探究心、自身もまだ修行の身であるとの思いから、雑木囃子の面々に多大なる期待とともに焦らず向き合い続けてほしいと語る。
指の感覚で鉋を削り、そして削った後にまた指の感覚で確認する。
よく言われている職人の勘であり、なかなか人に伝えにくい感覚だがらこそ、繰り返し繰り返し伝えることでしか伝承はできない。
伝承といっても一朝一夕に伝わるものではないため、伝える者、教えを請う者、それぞれが気の遠くなりそうな年月を数えることになる。
そういうのが伝統工芸だといえばその通りなのだが・・・。